企業のウェブサイト、パンフレット、そして日々のプレゼンテーション資料。
私たちは毎日、数え切れないほどの「文字」に囲まれてビジネスを行っています。
特にグローバル化が進む現代において、アルファベット、すなわち欧文に触れる機会は、業種を問わず飛躍的に増加しました。
しかし、その欧文が、意図せずして「素人っぽさ」や「詰めの甘さ」を露呈してしまっているとしたら、どうでしょうか。
「デザインはプロに任せているから大丈夫」
「内容は伝わればいい。細部は気にならない」
もしそうお考えの経営者やマーケティング担当者の方がいらっしゃれば、少しだけお時間をください。
本日お話しするのは、非常に専門的でありながら、実は企業の「信頼性」や「格」に直結する、欧文組版の深い世界。その中でも、特に見過ごされがちな「リガチャ(Ligature)」または「欧文合字」と呼ばれるルールについてです。
「リガチャ? 聞いたこともない」という方がほとんどかもしれません。
それもそのはず、リガチャは、それが正しく機能しているときほど、私たちの目には「意識されない」からです。
それはまるで、最高級のレストランで提供される、完璧に磨き上げられたカトラリーのようです。
誰もがその存在を意識はしませんが、もしそれが汚れていたり、不揃いだったりすれば、途端に料理全体の印象、ひいては店全体の評価まで下がってしまう。
リガチャも同様です。
この小さな「文字の作法」が守られていないだけで、無意識のうちに読み手にストレスを与え、デザイン全体の品質を損ね、最終的には「この会社は細部までこだわれない会社だ」というネガティブな印象を与えかねないのです。
AIがデザインやコンテンツを自動生成する時代が到来し、効率化が叫ばれる今だからこそ、このような「人間的な美意識」や「歴史に裏打ちされたルール」の価値は、むしろ高まっています。AIの出力を鵜呑みにするのではなく、それを適切に評価し、チューニングする「目」が求められているのです。
この記事では、デザイナーではない経営者やマーケティング担当者の方々にもご理解いただけるよう、欧文合字(リガチャ)とは何か、なぜそれがビジネスの現場で重要なのか、そして自社のブランド価値を高めるためにどう意識すればよいのかを、基礎から丁寧に解説していきます。
リガチャ(欧文合字)とは何か?
まず、リガチャとは具体的にどのようなものでしょうか。
リガチャ(Ligature)は、日本語で「合字(ごうじ/あわせじ/あいじ)」と呼ばれます。
簡単に言えば、「特定の2つ(またはそれ以上)の文字が、デザイン上の理由から組み合わさって、一つの文字(グリフ)としてデザインされたもの」を指します。
これは、日本語の組版ではほとんど見られない、欧文特有のルールです。
なぜ、文字を組み合わせる必要があるのか?
この疑問にお答えするために、具体的な例を見てみましょう。
欧文フォントの中で、最もリガチャが必要とされる代表的な組み合わせが「f」と「i」です。
多くの欧文フォント、特に「セリフ体」と呼ばれる、文字の端に装飾(ヒゲ)がついた書体(日本語の明朝体に相当)において、「f」の文字は、右側(多くの場合、上部)に「フック」と呼ばれる突き出た部分を持っています。
一方で、「i」の文字には、その上に「点(ドット)」があります。
この2つの文字「f」と「i」が隣り合って「fi」と並んだ時、何が起こるでしょうか?
そうです。「f」のフックと、「i」の点が、物理的に「衝突」してしまうのです。
この衝突は、見た目に非常に美しくないだけでなく、文字が潰れたように見え、可読性を著しく低下させます。
読み手は無意識のうちに、この「ぶつかり」に引っかかり、スムーズな読書を妨げられてしまうのです。
そこで、「fi」の組み合わせ専用に、新しい文字のデザインが考案されました。
それが「fi」のリガチャです。
このリガチャでは、「f」のフックが「i」の点を兼ねるような、流れるような美しい一つのフォルムとしてデザインされています。
これによって文字同士の衝突が回避され、滑らかで読みやすい文字列が実現します。
リガチャとは、このように文字と文字が持つ形状上の問題を解決し、より美しく、より読みやすくするための「デザインの知恵」なのです。
代表的なリガチャの例
リガチャが必要とされる組み合わせは「fi」だけではありません。
「f」という文字は、その形状から特に他の文字と干渉しやすいため、「f」を含むリガチャが多く存在します。
- fi:上記で説明した最も代表的な例
- fl:「f」のフックと「l」の縦棒が干渉するのを防ぐ
- ff:「f」が2つ並んだ時に、フック同士がぶつかったり、間延びしたりするのを調整する
- ffi:「ff」と「i」の組み合わせ
- ffl:「ff」と「l」の組み合わせ
これらは「標準合字(Standard Ligatures)」と呼ばれ、欧文組版においては、基本的に常に適用されるべきものとされています。
現代の高品質なフォントデータには、これらの合字グリフが最初から含まれており、対応するソフトウェア(デザインソフトや最近のウェブブラウザなど)では、ユーザーが「f」と「i」をタイプするだけで、自動的に「fi」の合字に置き換えられるようになっています。
この「自動的に行われる」という点が、リガチャが一般の人に意識されにくい最大の理由です。
しかし、この自動処理が正しく行われていない(あるいは、そもそもリガチャを含まない安価なフォントを使っている)デザイン物は、プロの目から見ると一目瞭然であり、「品質が低い」と判断される原因となります。
リガチャの歴史:機能美はなぜ生まれたのか
このリガチャという仕組みは、何もコンピュータの時代に始まった新しいルールではありません。
その起源は、実に中世の「写本」の時代にまで遡ります。
写字生たちの工夫と美意識
まだ印刷技術が発明されていなかった時代、書物はすべて人の手によって書き写されていました(写本)。
写字生と呼ばれる専門家たちは、羽ペンや葦ペンを使い、膨大な量のテキストを美しく、そして効率的に書き写す必要がありました。
その際、彼らは一文字ずつを独立して書くのではなく、特定の文字が連続する場合には、ペンを紙から離さずに、流れるような一続きのストローク(筆跡)で書く技術を発展させました。
例えば「c」と「t」が続く「ct」や、「s」と「t」が続く「st」などです。
この連続した筆跡は、単に書くスピードを上げるためだけではありませんでした。
それは同時に、文字と文字の間の流れを美しく見せ、ページ全体の視覚的な調和を生み出す「美意識」の表れでもあったのです。
これが、リガチャの原型(プロトタイプ)となります。
活版印刷の父、グーテンベルクの挑戦
15世紀半ば、ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を発明したことで、書物の生産性は飛躍的に向上しました。
彼は、それまで写字生たちが手で書き写していた聖書を、金属活字を組み合わせて印刷しようと試みました。
しかし、ここで問題が発生します。
写本の世界では、ペンの一筆書きによって自然に生まれていた文字同士の「繋がり」や「融合」が、一文字ずつが独立した金属のブロックである「活字」では、うまく再現できなかったのです。
無理に並べれば、「fi」の例のように活字同士が物理的にぶつかってしまいます。
かといって、ぶつからないように活字の間に隙間(スペース)を空けてしまうと、そこだけ間延びした不格好な文字列になり、写本が持っていた流れるような美しさが失われてしまいます。
グーテンベルクは、写本の美しさを印刷物で再現することに強いこだわりを持っていました。
そこで彼は、「fi」や「fl」といった、問題が起きる組み合わせ専用の「合字活字(つながった活字)」を、何種類も(一説には数百種類も)鋳造したと言われています。
これは、驚くべきこだわりと労力です。
活字の種類が増えれば、それだけ鋳造のコストも、活字を拾って並べる(植字する)手間も増大します。
しかし、彼はそれらのコストをかけてでも、「読みやすく美しい」組版を実現することを選びました。
受け継がれる「機能」と「伝統」
このように、リガチャは元々、写本の「美意識と効率性」から生まれ、活版印刷の時代に「物理的な衝突を避ける」という機能的な必要性から、そのルールが確立されていきました。
それは、単なる「飾り」ではありません。
何世紀にもわたって、欧文を読む人々が最も快適にテキストを読めるようにと洗練されてきた、タイポグラフィ(文字組版技術)の重要な「伝統」であり、合理的な「機能美」の結晶なのです。
現代の私たちがデジタルフォントで当たり前のようにその恩恵を受けている背景には、こうした先人たちの途方もない試行錯誤と、美しさへの執念があったのです。
リガチャは「1種類」ではない? 目的別の分類
さて、このリガチャですが、実はその役割やデザインの目的によって、いくつかの種類に分類されます。
先ほど紹介した「fi」や「fl」のように、「文字同士の衝突を避ける」という機能的な目的で使われるものを「標準合字(Standard Ligatures)」と呼びます。
これは、欧文組版において「常に使われるべきもの」です。
しかし、フォントの中には、それとは異なる目的の合字が格納されていることがあります。
それが「任意合字(Discretionary Ligatures)」や「装飾合字(Decorative Ligatures)」と呼ばれるものです。
機能性の「標準合字」と装飾性の「任意合字」
「任意合字」は、標準合字のように「使わなければならない」ものではありません。
その名の通り、「任意で(使うかどうかを選べる)」合字であり、その多くは「装飾的な目的」でデザインされています。
例えば、以下のような組み合わせが代表的です。
- ct:cとtが流れるように繋がるデザイン
- st:sとtが一体化したようなデザイン
- Th:Tの横棒がhの上まで伸びて繋がるデザイン
これらは、中世の写本や、非常にクラシックな活版印刷のスタイルを意図的に再現するために使われます。
標準合字が「可読性(読みやすさ)」を担保するためのものだとすれば、任意合字は「可読性(かどくせい)」つまり、読み手がその文字(あるいはブランド)から特定の雰囲気や歴史性を感じ取るための「装飾性」を高めるものと言えます。
ビジネスシーンでの使い分け
ここで重要なのは、ビジネスにおける「使い分け」です。
例えば、法律事務所や金融機関など、厳格さや信頼感、伝統を重んじる業種のロゴタイプや見出しに、こうしたクラシックな任意合字(ctやstなど)を「あえて」使うことがあります。
それは、「私たちは歴史と伝統を理解し、尊重しています」という非言語的なメッセージを発信するためです。
逆に、最新のAI技術を提供するIT企業や、スピード感が求められるスタートアップのウェブサイト本文に、こうした装飾的な合字を多用するとどうでしょうか。
それは「読みにくい」「古臭い」「過度に装飾的で、本質的でない」といった、意図しないネガティブな印象を与えてしまうかもしれません。
標準合字(fi, fl)は、現代のビジネス文書やウェブサイトでは「適用されていて当たり前」のものです。
これが適用されていないと、「詰めの甘さ」や「素人っぽさ」が出ます。
一方で、任意合字(ct, st, Th)は、ブランドの個性や歴史観を演出するための「スパイス」です。
使う場面と量を間違えると、全体のトーンを壊してしまう諸刃の剣とも言えます。
デザイン制作会社に依頼する際も、「なぜ、ここではこの文字の形(任意合字)を使っているのですか?」と質問してみると、その会社のデザインに対する知見や、ブランド理解の深さを測る一つの基準になるかもしれません。
なぜ今、経営者やマーケターがリガチャを意識すべきなのか?
「リガチャの重要性はわかった。でも、それはデザイナーが気にするべき専門的な話であって、経営判断やマーケティング戦略には関係ないのでは?」
そう思われるかもしれません。
しかし、私たちはそうは考えません。
デジタル時代において、ブランドの「細部」は、以前にも増して企業の評価に直結するからです。
1. ブランドの「信頼性」と「高級感」は細部に宿る
冒頭で、磨かれたカトラリーの話をしました。
例えば、あなたが高級レストランで会食をしているとします。
テーブルクロスにはシワひとつなく、カトラリーは輝き、料理は美しく盛り付けられている。
その空間全体が「信頼」と「品質」を雄弁に語っています。
もし、そのレストランのメニューブックの文字が、衝突して潰れていたり、間隔がガタガタだったりしたら、どう感じるでしょうか。
おそらく「料理は一流かもしれないが、どこか詰めの甘い店だ」と感じ、そのブランド体験は少し損なわれてしまうはずです。
企業のウェブサイト、会社案内、製品カタログも全く同じです。
顧客や取引先は、そのデザインの「細部」から、無意識のうちにその企業の「仕事の質」や「姿勢」を推し量っています。
「fi」が正しく合字になっているかどうか。
それ自体に気づく顧客はいないかもしれません。
しかし、リガチャが適用されていないテキストは、確実に「読みにくい」のです。
どこかリズムが悪く、目が引っかかる。その小さなストレスの積み重ねが、「なんとなく読みにくいサイトだ」「なんだか素人っぽい資料だ」という漠然としたネガティブな印象に繋がっていきます。
特に、BtoB(企業間取引)においては、「信頼性」が取引の基盤です。
数千万円、数億円の取引を検討する相手のウェブサイトや提案資料が、基本的な文字組版のルールさえ守られていなかったとしたら、発注を躊躇する要因になり得ます。
高級感やプレミアム感をブランド戦略の核に据えている企業にとっては、なおさらです。
リガチャの適用は、そのブランドが「本物」であるか、それとも「本物っぽく見せているだけ」なのかを分ける、一つのリトマス試験紙となります。
2. グローバル展開における「共通言語」としてのタイポグラフィ
現代のビジネスにおいて、グローバル化は避けて通れません。
海外の取引先とのやり取り、海外市場向けのウェブサイト構築、多言語対応のアプリケーション開発など、欧文(特に英語)に触れる機会は多岐にわたります。
日本語の組版ルール(禁則処理や句読点の使い方など)が厳格であるように、欧米のビジネス文化においても、タイポグラフィのルールは非常に重要視されています。
彼らにとって、リガチャが正しく処理されていることは「当然のマナー」であり、「教養の証」でもあります。
もし、日本企業が作成した英文のプレゼンテーション資料や契約書案で、「fi」が衝突したまま(リガチャが不使用の)状態になっていたら、どう思われるでしょうか。
「彼らは、私たちの言語や文化の基本的なルール(作法)さえ知らないのではないか?」
「こんな基本的なことにも気づかない会社と、精密な取引ができるだろうか?」
大げさだと思うかもしれませんが、文化的な背景が異なる相手とのコミュニケーションにおいて、こうした「非言語的な記号」が与える印象は、私たちが思う以上に強力です。
リガチャを正しく理解し、適用することは、グローバルなビジネスシーンにおける「共通言語」を話し、相手への敬意(リスペクト)を示すことにも繋がるのです。
3. 「AI時代」だからこそ問われる「人間の美意識」
近年、AIによるデザイン提案や、コンテンツの自動生成が急速に普及しています。
これにより、デザイン制作の効率は劇的に向上しました。中小企業においても、これまでコストや時間の問題で取り組めなかったマーケティング施策が、AIの活用によって可能になりつつあります。
しかし、ここに大きな落とし穴があります。
それは、AIが生成するアウトプットが、必ずしも「タイポグラフィの伝統や美意識」を完全に理解しているとは限らない、という点です。
AIは、膨大なデータを学習し、それらしいデザインや文章を「生成」することは得意です。
しかし、なぜ「fi」を合字にしなければならないのか、その背景にある「活字の物理的な衝突」という歴史的経緯や、「読み手へのストレスを軽減する」という人間中心の配慮までを深く理解して実行しているわけではありません。
結果として、AIが生成したデザイン案やウェブサイトのテンプレートを、人間の「目」で正しく評価・修正せずにそのまま使ってしまうと、一見それっぽく見えても、細部(リガチャやカーニング、行間など)が破綻している「質の低い」コンテンツが世にあふれてしまう危険性があります。
AIが「効率」を担うのであれば、人間(経営者やマーケター、そしてデザイナー)は、そのアウトプットに対して「品質」「美意識」「ブランド哲学」という最終的なジャッジを下す役割を担わなければなりません。
リガチャのような組版ルールを知っているかどうかは、AIの出力を鵜呑みにする「オペレーター」で終わるのか、それともAIを使いこなし、より高い次元の品質を生み出す「ディレクター」になれるのかを分ける、重要な知識の一つとなるでしょう。
あなたの会社は大丈夫? リガチャが「効かない」よくある落とし穴
「うちのサイトや資料は、デザイナーに頼んでいるから大丈夫だろう」
「最新のソフトを使っているから、自動でやってくれているはずだ」
そう思っていても、実際にはリガチャが正しく機能していないケースは、驚くほど多く存在します。
ここでは、ビジネスの現場で陥りがちな「リガチャの落とし穴」を具体的に解説します。
落とし穴1:フォントの選定ミス(リガチャが含まれていない)
最も根本的で、そして最も深刻な問題が「フォントの選定」です。
すべての欧文フォントに、リガチャの文字データが「標準装備」されているわけではありません。
特に、インターネット上で「無料」で配布されているフォントや、OS(オペレーティングシステム)に最初から入っている標準フォントの中には、制作コストやデータ容量の削減のために、リガチャ(fi, flなど)のグリフデータが意図的に(あるいは知識不足から)省略されているものが存在します。
デザイナーではない担当者が、コスト削減のために安易に無料フォントを選んで会社案内やウェブサイトのデザインに使用してしまうと、どれだけソフトウェア側で「リガチャを有効にする」設定をしても、元となるフォントデータに合字が存在しないため、絶対に適用されないのです。
これは「fi」の衝突を永久に解決できない、時限爆弾を抱えているようなものです。
プロのデザイナーは、フォントを選定する際、デザインの雰囲気やライセンス(使用許諾)だけでなく、そのフォントが「リガチャ(標準合字)をきちんと含んでいるか」「必要な言語(例えば、ベトナム語や東欧の言語など、特殊な記号が必要な場合も)に対応しているか」といった、組版品質に関わる仕様まで厳しくチェックしています。
フォントの選定は、デザインの「土台」作りです。
この土台がしっかりしていなければ、その上にどんなに立派なデザインを施しても、どこか不安定で、品質の低いものになってしまいます。
落とし穴2:ソフトウェアの「初期設定」の罠
リガチャを含む高品質なフォントを選んだとしても、安心はできません。
次に立ちはだかるのが「ソフトウェアの設定」です。
リガチャは、フォントデータの中の「OpenType(オープンタイプ)機能」という仕組みを使って、自動的に文字を置き換えるのが一般的です。
しかし、この機能を使うかどうかは、最終的に「使用するソフトウェア」の設定に依存します。
A)デザイン系ソフトウェア(DTP・Webデザイン用)
デザインのプロが使用する専門的なソフトウェア(例えば、印刷物制作用やウェブデザイン用)では、通常、このOpenType機能(標準合字)は「デフォルト(初期設定)で有効」になっています。
なぜなら、それがプロの組版において「当たり前」だからです。
しかし、何らかの理由でこの設定がオフになっていると、プロ用のソフトを使っていてもリガチャは機能しません。
経験の浅いデザイナーや、設定を意識したことがない担当者の場合、この罠に気づかないことがあります。
B)ビジネス系ソフトウェア(オフィスソフト)
問題は、経営者やマーケティング担当者が日常的に使う「ビジネス系ソフトウェア」(ワープロソフト、表計算ソフト、プレゼンテーションソフト)です。
これらのソフトウェアは、元々「高度な組版」を目的としていません。
そのため、OpenType機能への対応が遅れていたり、対応していてもその設定が非常に分かりにくい場所に隠されていたり、あるいは「デフォルトで無効(オフ)」になっているケースが非常に多いのです。
例えば、多くの人が使うプレゼンテーションソフトで、英文のタイトルを格好良く入れようとしたとします。
フォント(例えばTimes New Romanなど)には「fi」のリガチャが含まれています。
しかし、ソフト側の初期設定がオフになっているため、自動で合字に変換されません。
結果として、全社的に行われる重要なプレゼンテーションの表紙で、「fi」が衝突したままの、品質の低いタイポグラフィがデカデカと表示されてしまう、という事態が発生します。
(※注:近年、主要なオフィスソフトもOpenType機能への対応を強化しており、バージョンによってはデフォルトで有効になっている場合もあります。しかし、古いバージョンや環境では依然としてこの問題が残っています。)
「うちの会社は、デザインソフトではなく、オフィスソフトで資料を内製しているから」という企業こそ、自社で使っているソフトがリガチャに対応しているか、そして設定がどうなっているかを、一度確認する必要があるでしょう。
落とし穴3:ウェブサイト特有の問題(WebフォントとCSS)
企業の「顔」であるウェブサイトにおいても、リガチャは鬼門です。
A)Webフォントのデータ容量問題
ウェブサイトで特殊なフォント(会社のブランドイメージに合わせたフォント)を表示させるためには、「Webフォント」という技術を使います。
これは、閲覧者のコンピュータにそのフォントがインストールされていなくても、サーバーからフォントデータをダウンロードして表示させる仕組みです。
非常に便利な技術ですが、ここでも「データ容量」が問題になります。
高品質なフォントは、リガチャや、多言語対応の文字(ギリシャ文字、キリル文字など)を多く含むため、データ容量が大きくなる傾向があります。
ウェブサイトにおいて、データ容量の大きさは「表示速度の低下」に直結します。
表示速度が遅いサイトは、ユーザーの離脱率を高め、検索エンジンの評価(SEO)にも悪影響を与えます。
そのため、ウェブサイトを構築する際、「表示速度を上げる」ことを最優先するあまり、フォントデータから「リガチャ」などの(一見すると)不要な文字データを削ぎ落として、容量を軽量化するという処理(サブセット化)が行われることがあります。
この判断自体は、高速化という目的においては合理的です。
しかし、もしそのブランドが「高級感」や「品質」を謳っているのであれば、それは「高速化」と引き換えに「ブランドイメージの低下」を受け入れるという選択に他なりません。
このトレードオフ(何を優先し、何を捨てるか)を、ウェブサイト制作会社とクライアント(企業側)が、正しく認識を共有した上で行っているかが、非常に重要です。
B)CSSによる制御
さらに、ウェブサイトでは、CSS(カスケーディング・スタイル・シート)という言語を使って、文字の見た目を制御します。
このCSSにも、リガチャを有効にするか無効にするかの設定(`font-feature-settings` や `font-variant-ligatures` といったプロパティ)が存在します。
最近のウェブブラウザは賢いため、デフォルトで「標準合字」を有効にしてくれることが多いのですが、古いブラウザへの対応や、他のCSS設定との兼ね合いで、意図せずリガチャが無効になってしまっているウェブサイトは少なくありません。
ウェブサイトは一度作って終わりではありません。
ブラウザのアップデートや、CSSの仕様変更によって、昨日まで正しく表示されていたリガチャが、今日からは表示されなくなっている、という可能性もゼロではないのです。
落とし穴4:AI活用時の「過信」という新たなリスク
最後に、現代のビジネス環境ならではの、最も新しい落とし穴について触れなければなりません。
それは「AI(人工知能)への過信」です。
チャットAIによる文章作成、AIによるデザイン提案、AIによるコーディング支援。
これらの技術は、中小企業のマーケティング活動において、間違いなく強力な武器となります。
しかし、こと「タイポグラフィ」に関しては、AIの出力を無条件に信頼することはできません。
A)AIは「文字列」は生成するが「組版」はしない
例えば、AIに「当社の新製品を紹介する、洗練された英語のキャッチコピーを考えて」と依頼したとします。
AIは瞬時に流暢な英文を提案してくれるでしょう。
しかし、AIが生成するのは、あくまで「テキストデータ(文字の羅列)」です。
そのテキストデータが、最終的にどのようなフォントで、どのようなソフトウェア(ウェブブラウザ、プレゼンソフト、デザインソフト)で「表示(レンダリング)」されるかによって、リガチャが適用されるかどうかは決まります。
AIは「fi」を合字にすべきだ、という知識(データ)は持っているかもしれませんが、その出力を受け取った人間側が、リガチャが機能しないフォントや環境(例えば、古い設定のメモ帳やテキストエディタ)に貼り付けてしまえば、AIの意図(あるいは知識)は反映されません。
B)AI生成コンテンツの「コピペ」による品質劣化
特に危険なのが、AIが生成したテキストやHTMLコードを、深く理解しないまま自社のウェブサイトやブログの管理画面に「そのままコピー&ペースト」することです。
AIが提案したコードが、リガチャを無効にするようなCSS設定(前述の `font-feature-settings` など)を意図せず含んでしまっている可能性もあります。
また、AI自身が、リガチャの概念が欠落した(あるいは軽視された)ウェブ上の大量のテキストデータを学習した結果、タイポグラフィ的に不適切な出力を平気で行う可能性も否定できません。
「AIが作ったのだから、最先端で完璧なはずだ」という思い込みこそが、ブランドの品質を毀損する最大の原因となり得ます。
AIはあくまで「アシスタント」であり、最終的な品質に責任を持つのは、それを利用する人間(経営者や担当者)自身です。
AI時代において、リガチャのような「人間的な美意識」や「歴史的文脈」を理解しているかどうかは、AIの出力を適切に「校正・校閲」し、ブランド価値を高めるための「最後の砦」として、ますます重要になっていくでしょう。
あなたの会社は大丈夫? 経営者・マーケターのための「リガチャ・セルフチェックリスト」
では、具体的に私たちは何から始めればよいのでしょうか。
専門的な知識はデザイナーに任せるとしても、経営者やマーケティングの責任者として「自社の現状を把握する」ことは、今すぐにでも実行可能です。
自社のブランドが、この小さな「文字の作法」を守れているか。
以下の簡単なチェックリストを使って、ぜひ一度、自社の「顔」を点検してみてください。
チェック1:自社の「顔」となる媒体を点検する
まず、顧客や取引先が最も目にするであろう、以下の3つの媒体を確認します。
- 企業の公式ウェブサイト(特にトップページと会社概要)
- 会社案内の資料(PDFまたは印刷物)
- 営業用の提案資料(テンプレート)
これらの媒体の中で、以下の英単語(「fi」「fl」「ff」を含むもの)を探してみてください。
- official (オフィシャル)
- finance / financial (ファイナンス)
- information (インフォメーション)
- different (ディファレント)
- flexible (フレキシブル)
- profile (プロフィール)
- staff (スタッフ)
- office (オフィス)
いかがでしょうか。
これらの文字の「f」と「i」、「f」と「l」の部分を見てください。
* 正しくリガチャが適用されていれば:「f」のフックと「i」の点が融合し、滑らかな一つの形になっています。
* 問題がある場合:「f」と「i」の点がぶつかっていたり、不自然に離れていたりします。
もし、あなたの会社の「顔」で、この衝突や不格好な隙間が放置されていたとしたら、それは「細部にこだわれない会社である」という印象を、静かに、しかし確実に発信し続けていることになります。
チェック2:使用フォントと環境の確認
もし「問題がある」とわかった場合、その原因を探る必要があります。
- フォントの確認:その媒体では、どの欧文フォントが使われていますか:それが「リガチャを含まない安価なフォント」や「無料フォント」である可能性があります
- ソフトウェアの確認(特に社内資料):プレゼンテーションソフトやワープロソフトで作成していませんか:それらのソフトの「フォント設定」や「詳細オプション」で、リガチャ(合字)を有効にする項目がオフになっている可能性があります
- ウェブサイトの場合:ウェブ制作会社に「Webフォントの仕様」と「CSSの設定」について、リガチャが正しく適用されるようになっているかを確認する必要があります
チェック3:パートナー(制作会社)との対話
デザインやウェブサイトの制作を外部の専門家に依頼している場合、彼らの「タイポグラフィへの意識」を確認することが重要です。
次に発注する際、あるいは既存のウェブサイトの改修を依頼する際に、ぜひこの一言を添えてみてください。
「もちろん、欧文組版のルール(リガチャの適用など)は、きちんと守ってくださいね」
この一言で、「このクライアントは、細部(品質)を理解している」と制作会社に伝わります。
それだけで、彼らの仕事の「緊張感」は高まり、アウトプットの品質は確実に向上するはずです。
逆に、もしこの質問に対して「リガチャ…ですか?」と戸惑ったり、明確に答えられなかったりするようであれば、そのパートナーはタイポグラフィの基礎知識が不足している可能性があり、長期的なブランド構築のパートナーとして適切かどうか、再考するきっかけになるかもしれません。
チェック4K:AI活用ルールの策定
もし、社内でAIによるコンテンツ生成(ブログ記事作成、SNS投稿文作成など)を本格的に導入しようとしている、あるいは既に導入しているのであれば、必ず「公開前のチェックプロセス」をルール化してください。
AIが生成したテキストを、そのまま世に出してはいけません。
必ず、人間の目(できればタイポグラフィの基礎知識を持った人)が、最終的な表示環境(ウェブブラウザやPDFなど)で、意図しない文字の衝突(リガチャの不適用)や、不適切な改行、記号の誤用などが発生していないかをチェックする工程を挟む必要があります。
効率化のためのAI導入が、逆にブランドの品質を低下させるという「本末転倒」な事態を避けるために、この「人間の目による品質担保」は、経営レベルで決定すべき重要なルールです。
まとめ:文字は「情報」であり、同時に「ブランドの体温」である
本日は、「欧文合字(リガチャ)」という、非常に専門的で地味なテーマについて、長々とお話ししてきました。
リガチャとは、突き詰めれば「読み手への配慮」の歴史そのものです。
写字生がペンで文字を繋げたのも、グーテンベルクがコストをかけて合字活字を作ったのも、すべては「どうすれば、より快適に、より美しく、よりストレスなく情報を伝えられるか」という、人間中心の探求の結果でした。
デジタル化とAI化がどれほど進んでも、最終的にその情報を受け取るのは「人間」です。
私たちの「目」であり「脳」です。
テキストは、単なる情報の羅列ではありません。
その「文字の佇まい」そのものが、情報の一部であり、発信者の「体温」や「品格」を伝える、強力なノンバーバル(非言語)メッセージとなります。
「fi」の衝突を許すか、許さないか。
それは、数ピクセル単位の小さな差かもしれません。
しかし、その小さな差に気づき、こだわり、正しく修正する姿勢こそが、ビジネスにおける「信頼」や「品質」の本質ではないでしょうか。
AIが効率化する領域が増えれば増えるほど、私たち人間には、こうした「美意識」や「哲学」、「細部へのこだわり」といった、より高次元の価値判断が求められます。
自社のブランドが、顧客や社会に対して「本物」の価値を提供し、長期的な信頼関係を築いていきたいと本気でお考えの経営者、マーケティング担当者の方にこそ、この「リガチャ」という小さな巨人の存在を、ぜひ心に留めておいていただければ幸いです。
あなたの会社の「文字」は、未来の顧客に対して、どのような「体温」で語りかけているでしょうか。
参考情報(出典先リスト)
本記事を作成するにあたり、タイポグラフィおよびウェブ技術に関する以下の一般的な技術情報を参照しました。
- Mozilla Developer Network (MDN): CSS: font-variant-ligatures プロパティに関する技術文書
- Adobe Inc.: OpenType (オープンタイプ) 機能と合字に関するヘルプドキュメント
- Microsoft Corp.: OpenType 仕様書における合字(Ligatures)の定義
![]() |
無償のデザインコンサルをご希望の方は、Squareにて: 無料のコンサルを予約する ▶︎ |
![]() |
直接メールにてメッセージを送りたい方は、Marz宛に: メールでメッセージを送る ▶︎ |
![]() |
月額¥99,800のデザイン7種パッケージをはじめました!: デザインサブスク頁を見る ▶︎ |
